感動するこころ・楽しむこころを大切に、こころにうつったことを気ままに綴っています。
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出世の石段・・・・愛宕神社・・・・
2006年07月12日 (水) | 編集 |
6月30日は夏越しの大祓いでした。

あちこちの神社で茅の輪神事やお祭りがあったようです。私は港区の愛宕神社に行って来ました。
atago1.jpg


atago5.jpg愛宕神社のある愛宕山は標高26M。東京23区内ではもっとも高い山です(おひょ)。
6千坪の敷地があり、とんとんと階段を上がって神社に向かいます。
エレベーターもありますが、最近のエレベーター事故続きで使用停止になっていました。
山の下はこんな感じでトンネルになっています。通る人たちはビジネスマンの方々が殆どのようでした。
昔から、ここだけがなぜポッコリ山になっているのか?というのが議論の的になっていました。
有力な説のひとつに「愛宕山は江戸城築城の際に、そのお堀の土を盛って作った」というものがありました。
しかし、近年の地質調査の結果、愛宕山は関東ローム層のしっかりした土壌であることが判明し、お堀の土でできた山ではないことが証明されました。なぜここに山があるかのは依然ナゾのままです。

atago2.jpg愛宕神社に上がる石段は「出世の石段」と呼ばれています。
すごい急勾配な石段で写真を撮るのにもくらくらしそうでした。
この日は雑誌か何かのグラビア撮影だったようで、ジャニーズ系の男の子たちが石段を見上げて出世を誓う・・・という構図で撮影が行なわれていました。
ずっと石段を占領しているので通りにくいったらありゃしない。
メディアの人たちって何だか尊大ですね。「一般の人は邪魔邪魔・・・」といった発言が聞かれ、感じ悪かったです。なぜに参拝者の方々が申し訳なさそうに通らねばならないのでしょう。邪魔しているのはあっちなのに!!もうちょっと小さくなってやってほしいよ・・と思ってしまいました。歩きにくそうにしていたおばーちゃまがたがお気の毒だったので、私は嫌味ったらしくぶんぶん真ん中を通りました(恐ろしく怖いもの無し)。
あ・・・ちょっと話がそれましたが・・・
「出世の石段」の由来は、講談「寛永三馬術」の中の曲垣平九郎(まがき・へいくろう)の故事にちなみます

時は寛永11年、
江戸三代将軍、家光公が将軍家の菩提寺である芝の増上寺にご参詣のお帰りに、ここ愛宕神社の下を通りました。
折しも春、愛宕山には源平の梅が咲き誇っておりました。
家光公は、その梅を目にされ、
「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」
と命ぜられました。
しかし、この愛宕山の石段はとても急勾配です。歩いてのぼり降りをするのだに、ちょっと勇気が必要なのに、馬でこの石段をのぼって梅を取ってくることなど、とてもできそうにありません。
家臣たちは、みな一様に下を向いております。
家光公は、みるみる機嫌が悪くなってきます。もう少しで怒りバクハツ!というそのときに、この石段をパカッパカッとのぼり始めた者がおりました。

家光公。その者の顔に見覚えがありません。
「あの者は誰だ」
「おそれながら、あの者は四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎(まがき・へいくろう)と申す者でございます」
「そうか。この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれである」

平九郎は見事、山上の梅を手折り、馬にて石段をのぼり降りし、家光公に梅を献上いたしました。
平九郎は家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名は一日にして全国にとどろいたと伝えられております。



この故事にちなみ、愛宕神社正面の坂(男坂)を「出世の石段」と呼び、毎日多くの方が、この男坂の出世の石段をのぼって神社に出世を祈願するとか。
「出世の石段祭り」では、2年に1度、御神輿が出世の石段を行き来し大変勇壮です。町内を巡行した後、提灯を付けた御神輿が急勾配の石段を登る様はダイナミックそのもので祭りのクライマックスに相応しいものになっています。(参・愛宕神社の名所)





atago3.jpg愛宕神社は慶長8年(1603年)、徳川家康の命により江戸の防火の神様として祀られました。
主祭神は《火産霊命(ほむすびのみこと)》です。
写真は台所のおまもり「おくどさん」
台所にさげて、火事を防ぐそうです。
唐辛子は一本ずつぬいてお料理にお使いくださいって書いてありました。
この間「忘れていて鍋をこがした!!」と言ってといた母にあげました。火事って怖いですものね。


「出世の石段」以外にも、愛宕神社にはさまざまなエピソードがあります。

井伊直弼を討った水戸浪士集結の場所
万延元年、3月3日。時の大老、井伊直弼を水戸浪士が討った桜田門外の変で、その水戸浪士が集結したのは、この愛宕神社でした。
浪士たちは神社内の絵馬堂(現存せず)に集結し、神前に祈願したのち、歩いて桜田門に向かったのです。
家康公が建てられた愛宕神社に祈願したわけですから、浪士たちにとって井伊大老を討つということは、幕府のためだという確固たる信念があったのでしょう。(参・愛宕神社の名所)



勝海舟、西郷隆盛の会談
世界史上の多くの革命が血と犠牲の上で行われたのに対し、勝海舟と西郷隆盛による江戸城の無血開城は、日本の近代史上、世界に誇れる快挙です。そして、愛宕山は、この無血開城に大きな役割を果たしていたのです。

江戸城明け渡しについて勝海舟と西郷隆盛は、ともにそのバックからのプレッシャーもあって、行き詰まり状態にありました。
明治元年、3月13日。両人は家康公ゆかりの当山に登り、江戸の町を見渡しました。そして、どちらから言い出すともなく、
「この江戸の町を戦火で焼失させてしまうのはしのびない」
と談し、ともに山を下りたのです。
そして、そののち三田の薩摩屋敷で歴史的な会見をして、無血開城の調印を行いました。
現在は、ビルが建ち並び江戸の町をすべて見渡すことはできませんが、当山からの眺めは、人々に無駄な争いの愚かさを教え、そして平和な心を思い出させる何かがあったのでしょう。 (参・愛宕神社の名所)



いろいろな歴史の舞台となった愛宕山・愛宕神社。
色濃き緑に歴史の厚みを感じました。

atago4.jpg歴史の香りを感じながらの散策でした。木陰は涼しいとはいえ、やはりこの日も猛烈な暑さ。
愛宕神社のにゃんこさんに会いました。
あち~~~
暑くて暑くてバテバテのご様子でした。
起き上がってくれるかしばらく粘っていましたが、相当の暑さなのか・・・お昼寝姿のままでした。
そりや、夏に毛皮着ているんですものねぇ・・・。にゃんこさんたちもタイヘンだ・・と思いました。


コメント
この記事へのコメント
私は最近になって、日本の歴史に興味をもって、本を読んだり時代劇に夢中になったり...。もっと学生時代に勉強すればよかった!歴史上ゆかりのある寺社めぐりもしてみたいなあと思っています。都内にもそういう場所がいろいろあるのに、全然知らない。こころさんの所で勉強ができ、ありがたいです。(ありがとうございまする!!v-207)今度行ってみようと思いまする。
2006/07/16(日) 13:07:21 | URL | けいの #-[ 編集]
けいのちゃんへ    fromこころ
おおっ・・最近は歴史に凝っているのですね。

私も歴史は大好き。
でもエセ知識が多く、いつも矛盾を夫に指摘されます。
漫画が全てと思っていたきらいがあるらしく(笑)、調べなおしの
日々か続いています。
記事を書くときも間違えていないかと勉強しなおし!!

なので、けいのちゃんにこんなふうに言っていただけると、恥ず
かしながらも嬉しいです。

愛宕神社は手軽に行けるので、ぜひ訪ねてみてください。
御成門でおりて芝郵便局を曲がります。J医大病院を通り過ぎ
るとすぐこんもりとした愛宕山が見えてきます。
2006/07/17(月) 20:22:26 | URL | ☆けいのちゃんへ #ZMUMkWGc[ 編集]
おおーっ!
御成門!しかもJ医大病院とは。精密検査や専門外来でお世話になっているところです。何度も通ってるのに、全然気づきませんでした。病院目的だけではなく、周りをみたり、楽しむ余裕も必要だなと思いましたv-212こちらに引っ越してきて5年...なのに知らないところだらけv-12せっかくなので、もう少し出歩いてみようかな♪
2006/07/17(月) 22:41:44 | URL | けいの #-[ 編集]
けいのちゃんへ    fromこころ
けいのちゃんお馴染みの地でしたかv-290
私は御成門駅からみなと図書館へは学生時代によく行きまし
たが、駅のこちら側には来たことがなかったので新鮮でした。
J医大病院も実物を初めて見ました。格式ある立派な建物です
ねぇ・・・。
地下鉄は出口でいつも迷ってばかりなのですが、出口表示にも
愛宕神社が出ていたので助かりました。
キョロキョロしながらの散策でしたよん。
2006/07/18(火) 19:26:02 | URL | ☆けいのちゃんへ #ZMUMkWGc[ 編集]
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