感動するこころ・楽しむこころを大切に、こころにうつったことを気ままに綴っています。
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東急池上線の旅・・・洗足池
2006年03月31日 (金) | 編集 |
足を洗う池?とな。
私も○○から足を洗いたいものです(苦笑)・・。
とかなんとか戯言はさておき・・・、東急池上線にのってふらふらと旅に出ました。短い距離なのに「旅」とは大げさかしらん。でも初めての路線はわくわくします。
鉄道小僧の素質もあるのかな?
どきどきと池上線初乗りで洗足池を目指しました。

駅を出て、中原街道にかかる歩道橋を渡ると、目の前に広大な池が広がっていました。
senzokuike4A.jpg

わぁー・・・すごい。
あひるのおまる(ボート)がいっぱい浮いています。楽しそうっ。



senzokuike1A.jpg
対岸の桜の下では花見の宴会が始まっていました

senzokuike3A.jpg
池の周りはぐるっと一周できます。
花見のお客さんがとてもいっぱいでしたし、お店もいっぱいでした。
ボートも池のあちこちにたくさん漕ぎ出ていました。
女の子たちは沈みそうなボート?でせっせとえさをあげていました。


《洗足池あれこれ・・・》
洗足池は、広さ30万㎡余りの湧水池で、流れ込む川はありません。
昔から風光明媚な池として知られ、江戸の頃には安藤広重の絵になって、江戸近郊の名勝として有名でした。
病気治療のため身延山を下りた日蓮が、この池に立ち寄り、足を洗ったという伝説があり、その時に袈裟をかけたと言われる「袈裟掛けの松」も残っています(松は3代目)。
かつては「千束の大池」と呼ばれていたようですが、日蓮にまつわる伝説によって、いつの間にか「洗足池(せんぞくいけ)」 と呼ばれるようになりました。
現在は大田区立の公園(洗足池公園)となっています。
senzokuike2A.jpg

池の西岸に千束八幡神社があり、1184年の宇治川の合戦で磨墨(するすみ)に乗ずる梶原景季と先陣争いをした佐々木高綱の愛馬”池月”(いけづき)の像がありました。
senzokuike5A.jpg
相州石橋山の戦いに敗れて安房へ逃げた源頼朝が、再び挙兵して鎌倉に向かう途中、この洗足池で宿営しました。そのとき一頭の駿馬が捕らえられました。頼朝は池の水面に映える美しい駿馬の様子から「池月」と命名しました。 (参:大田区史跡散歩)

この『名馬池月伝説』をもう少し詳しく書きたいと思いましたが、日本史に弱い私はネタ不足に参ってしまいました。

ちょっと手ヌキして「ねえ、池月伝説って何?」と歴史好きの夫に聞きました。あっさりと「ああ、磨墨だろ」と言われ、おお、わが意を得たり・・とばかりに「なになに・・その後どうしたの・・」と説明を聞きましたが、こりゃだめだ。さっぱり前後が繋がりません(恥)。
いつも記事の後追いですが、少しずつ歴史を紐解いていきたいと思います。

そんな分かりの悪い私が唯一分ったことは洗足池周辺の池月伝説以外にも関東を中心とした日本各地にこの『池月伝説』があることです。

【徳島県美馬市の池月伝説】
宇治川の先陣において、佐々木四郎高綱が騎乗し先陣を切ったことで知られている名馬池月は現在の美馬町沼田の里で生まれ育った馬であると伝えられています。
子馬のころ、母馬と一緒に沼田の大池のほとりで遊んでいたときのことです。母馬が池の深みに落ち込んで死んでしまいました。
月の美しい夜のことです。
母恋しさに堤に立った子馬は、折からの名月が皎々として、その月影を映しだした池の面に母馬の姿を見つけました。月の光で映しだされた自分の姿とも知らずに・・・
「お母さん!」 
子馬は月夜の池に身をおどらせました。母の姿は波紋となって、はかなく消えました。堤に上がった子馬が、再び池に目をやると、ありありと母の姿が見えるではありませんか。
また飛び込みました。また消えました。
母を慕って月夜の池に何回も何回も飛び込む哀れな子馬を、里人たちは、いつしか「池月 」と呼ぶようになりました。



【隠岐の池月伝説】
この馬は、産まれて間もないころ、母馬に死に別れた。子馬はそれから毎日のように母馬に焦がて鳴いていた。
ある日のこと、捜し疲れて、ふと池の傍らに立っていると、水の中に瞬時も忘れることのなかった母馬がいた。子馬はうれしさのあまり、いきなり池の中に飛び込んだ。
しかし、もとよりそれは自分の姿が水面に映っていたのであって、恋い焦がれていた母馬ではない。そのことに気づかなかった子馬は、一生懸命、池の中を泳ぎ回った。疲れ果てると陸へ上がって休み、また同じことを繰り返した。
こうして、毎日、毎日、むなしい努力を積み重ねたので、いつの間にか、この馬は泳ぎが大変上手になった。
そのうち、このたくましい馬を村人が見つけて捕えようとしたが、馬は海を泳いで逃げた。
そして、日本海の波涛を越えて、島根半島の加賀の浦に泳いで渡った。
いくつかの奇跡を示したこの馬は、後に人によって捕えられ、希代の名馬としての折紙がついた。それが、鎌倉の頼朝に献上されて「生食」と名づけられ、宇治川先陣争いに「磨墨」を出し抜いて誉れを後世に残したのである。
「生食」の名前は、池のほとりについて離れなかったので最初「池付」といっていたが、後に鎌倉の頼朝に献上されるころには、生き物までを食べたので「生食」になったと伝えられる。



【池田湖(鹿児島)の池月伝説】
開聞岳裾野から、薩摩半島分水嶺付近は牧場がたくさんあります。
源頼朝から依頼された名馬探しで、この付近で「生月」という子馬が目にとまり、頼朝から家来に下げられ、これが宇治川合戦の先陣争いの池月となりました。
残された母馬は、子供を捜して、その嘆きは狂わんばかりで、野を掛け回ったり、湖で泳ぎまわったりして、ついには崖から身を投げたそうです。これを哀れんだ村人が、石塔を立ててまつったということです。


と、いくつか選んでもこんな感じです。

「仔馬が母馬を思って泣いた」のか「母馬が仔馬を思って泣いた」のか、いろいろありすぎて定かでないですが、そこが伝説のおもしろいところかもしれません。

ちなみに、洗足池近くの東急池上線「洗足池駅」は、およそ30年ほど前までは「池月駅」という駅名でした。

名馬池月の像は今にも駆け出しそうな様子で、ひとこと私に言いました。
「もっと歴史に親しみなっっっ
コメント
この記事へのコメント
わ~!洗足池! この近くの幼稚園でやっていた絵の教室に半世紀ほど前に通っていました。ボートにも(アヒル型ではありませんが)乗りました。でもここのそんな歴史は知りませんでした。
唯の池としか思っていませんでした。いっぱい遊んだ記憶だけ!
またまた懐かしい風景をありがとう!
2006/03/31(金) 21:02:15 | URL | ナンシー #-[ 編集]
洗○
パンツ・ブラジャー労組の雇用主さま
洗足池で洗尻は可能ですか。。。

ああっ・・・・・・!!

乙女なこころちゃんの、無垢なブログに汚点をつけて本当にすみませんっ。
一豊の名馬登場が待ち遠しい、房総の千代でちた。
2006/03/31(金) 23:49:29 | URL | なおぷ♪ #yl2HcnkM[ 編集]
ナンシーさんへ
またまたナンシーさん想い出の地ですね。
名前は何度も耳にしていたのですが、実際に洗足池を目に
したのは初めてでした。予想以上に大きくてびっくりしました。
あひるのおまるに乗りたがったよぉ~~(笑)。
私が行った日は大大混雑であひるのおまるは順番待ちの列
でした。

池の周りには学校や図書館もあり、広々とした文教地区で
羨ましかったです。池の生物なども近隣の小学校が調べて
いましたよ。
2006/04/01(土) 07:42:47 | URL | ☆こころ #ZMUMkWGc[ 編集]
なおぷ♪ちゃんへ
○○から足を洗いたい時は、願懸けに洗足池で足を洗う・・・と
おまじないでも流行らせましょうかねん?
水生植物園などもあり、なかなか見ごたえのある池の周遊路
でした。今日あたりは本当に満開なのかもしれませんね。

「功名が辻」もそろそろ名馬登場ですか。
気合はどこへ行ったやら、早々に大河から脱落している私なの
でした・・・。
2006/04/01(土) 07:56:29 | URL | ☆こころ #ZMUMkWGc[ 編集]
ノバたんです。

名馬には物語があり!馬さんに乗ったこともないノバたんは
一度は乗ってみて、「はっ」と掛け声をかけながら走ってみたいなぁ。
2006/04/01(土) 14:08:14 | URL | ノバうさぎ #ehuBx04E[ 編集]
ノバたんへ
うまい!「名馬に物語あり」ですかっ。
私も馬さんには乗ったことありません。にんじんをあげたことは
ありますけど・・・。
観光地で馬車には乗りました。暑かったことだけが印象に残っ
ています。
2006/04/01(土) 22:04:34 | URL | ☆こころ #ZMUMkWGc[ 編集]
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